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‘ELF and multilingual practices in professional contexts’のWorkshopが終わったので、簡単に感想を書いておきます。

11月7-8日の2日にわたって、大学で私のAdvisorをしてくれているCogo主催のWorkshopが行われ、ELFとMultilingualをテーマに8人がプレゼンをしました。私も一線の研究者の末席に連なって発表をする機会をいただき、初めて、主催者側手伝いと、発表者の両役を経験しました。 

ノン・ネイティブの英語使用がどのように英語以外の言葉の影響をうけているか、あるいはノン・ネイティブが使う英語にどう他言語が混じって使われているか、をテーマに、ビジネスについて5人が、大学現場(高等教育)について3人が発表しました。

発表者がみな、現在すすめている研究プロジェクトから、多言語に関するテーマに絞ってデータを選び、その分析結果や、考えを紹介しました。かなり絞りこまれたテーマについて、多様な状況(企業や大学)や、多様な地域(ドイツ、ノルウェー、イギリス、日本)や、多様な方法(エスノグラフィ、コーパス、ディスコース分析、ナラティブ)の研究をまとまって聞く機会となりました。一つのテーマを多面的に掘り下げるきっかけとなり、非常に面白かったです。発表者はほとんどが顔見知りでもあり、また、参加者も40人に限られ、一(いち)発表に40分(20分発表、20分議論)と時間配分も余裕があり、こじんまりとしながら、活発な議論ができて、刺激的なWorkshopだったと思います。

Multilingualismは、ヨーロッパでは、現在注目されている、新しく、活気のあるテーマです。Multilingualismが言語学研究者の関心を集める原因としてまず挙げられるのは、EUのPlurilingualism政策のもとで教育をうけた人が増え、ヨーロッパ全体で、多言語を混ぜて使う場面が増えていることがあると思います。

実際、ヨーロッパの数カ国の人が集まって話す場にいあわせると、フランス語、ドイツ語、スペイン語などを母国語や外国語として共有している人が増えて、主に英語で話していても、ときどき他の言葉にスイッチしたり、英語の中に、他の言葉が混じってはいっていくる場面によく出会います。加えて、とりわけヨーロッパの都市部で、さまざまな地域や時期に移り住んだ、ヨーロッパ外からの移民の生活共同体が混在し、さらに多様な、モザイクのような多言語社会を作っていることがあげられると思います。こうした、歴史的にも、地域的にも、多様な人の移動でつくられた多民族コミュニティが、地層のように重なり合って作る社会を、Superdiversityと呼んで、注目する研究者もいます。

もうひとつ、多言語の使用がヨーロッパの言語学研究者の関心を集める背景としては、「ヨーロッパにおける国際語」を英語一色にしてはいけない、という、英語オンリーへの抵抗感のようなものが、ヨーロッパにあるような印象を、今回のWorkshopで感じました。私が出会うELFの研究者は主に大陸ヨーロッパの人ですが、みな英語が非常に上手だと常々感心しますが、同時に、多言語主義にも高い関心をもっているように思います。また、EUから、多言語関係の研究に資金が提供され、EUの複数の国の大学が協力する大規模な研究プロジェクトがいくつか同時進行していることも、大きな推進力になっていると思われます。さらに言えば、もともと歴史的に結びつきの強いヨーロッパ各国の大学が、Erasmusによってさらに緊密になっていることも背景にあるかも知れません。

ただ、私の場合、ELFという非常に特殊な研究者グループの中にいて、しかもヨーロッパから英語研究を見ているので、アメリカが中心となっている言語学全体の潮流の中では、かなり異色な、Multilingualismへの観点を追っているかもしれないとも思います。

今、ヨーロッパで注目されている、この新しいMultilingualismは、「言語」を既存の言葉ごとにわかれた独立したシステムが並立するものとはとらえず、複数の言語の小さい「部分」の寄せ集めであると考えます。個人の過去の言語学習と言語使用経験を反映して積み重ねた、人ごとに違う、’Resources‘であると考える点に特徴があります。

たとえば英語ができる日本人の場合、英語と日本語の2本の独立した言語のシステムを並列してもつと考えるのではなく、過去の学習と使用経験によって蓄積されてきた、日本語のResourcesと英語のResourcesが折り重なり、混在すると、考えるわけです。ですから、この言語のResourcesは、人が生きる中で、個人が経験する時間や場所が変化するにつれて変化していくととらえられます。

ちがった角度からMultilingualismをみると、ある場面のコミュニケーションに様々な言語が混ざって使われる多言語的な言語使用を、「間違った」言葉の使い方ととらえず、新しい使い方と、肯定的に分析する方向性とも言えます。今までは、たとえば帰国子女などが、英語と日本語をちゃんぽんで話すことを、言葉を乱すととらえ、矯正しなくてはいけない、と捉える傾向があったと思います。しかし、そうしたちゃんぽんな使い方が世界中で広がっている中で、こうした使い方を自然な状況として研究対象とする研究者が増えつつあるということです。

この分野では、Blommaert(2010)のThe Sociolinguistics of Globalizationを、私は非常に興味深く読み、博士論文でも中核的な論理的枠組みとして引用しています。また、Workshopを主催したCogoの最近の論文でも、ヨーロッパにおいて、英語と多言語が混在して使用されるケースを、分析しています。

私自身の発表は、日本人の英語の使用に、日本語がどのようにかかわっているかを、個人のレベルとグループのレベルにわけてデータを紹介し、私なりの分析を提示しました。日本人の私としては、あまりにも当たり前な言語使用の現状を紹介したので、他の国の人からも同じような使い方をする、というコメントがあるかな、と期待していました。しかし、発表後の議論では、どちらかといえば、日本人に固有の使い方だろう、という反応で驚きました。単一言語性が高く、日本語と英語が意識的に、かなり切り離されていると思われる日本人と、多言語性が高く、多くの言語が混在している環境で生活するヨーロッパ、アフリカの人では、英語と母国語の関係はかなり違うのかも知れません。

ただ、私の発表について、研究方法が新しい、提示したデータ(ナラティブ)が興味深いと、研究の枠組みについて、かなり好意的はコメントをもらい、ほっとしました。今回のMultilingualのテーマを博論に含むかどうかはまだ決めていませんが、手元の他の部分のデータを同じような方法で分析することで、かなり説得力のある議論が展開できそうな感触がありました。来週にはSupervisorからのフィードバックをもらい、それをうけて、この冬から春にかけ本格的に、データの分析をしながら議論の枠組みを決め、原稿を書き進めることになります。

なお、このWorkshopでは、私以外には以下のメンバーの発表がありました。
Susanne Ehrenreich – TU Dortmund University (Germany)
Martin Dewey – King’s College London (UK)
Anne Kari Bjørge - Norwegian School of Economics (Norway)
Jo Angouri - Warwick University (UK)
Juliane House – Hamburg University (Germany)
Marie-Luise Pitzl – Salzburg University (Austria)
Jennifer Jenkins – University of Southampton (UK)
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