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「なんで英語なんか勉強するの?」-[みんなで英語教育] 第5回に参加して、私の考えを書きながら、頭の中に浮かんだことを、振り返ってまとめておきたいと思います。



全体として、できるだけ、日本の子どもたちの気持ちになって考えたつもりなのですが、ツッコミどころ満載というか、自分でも無理言ってるな、説得力あるのかなぁ、と思ったところが、多々あります。

ただ、日本や世界がどう変わっていくかわからない、子どもたちも将来何をするかもわからない、そんな未知の未来に向かう子どもたちに、古い世界の私が、自分の経験をもとに何を書いても、もともと無理があるよな、という気もします(苦笑)。

「なんで英語を勉強するのか」という問いかけは、私が言語学の研究課題を決める際にかなり考えたことなので、この機会に、自分の考えたことを、他の人に語りかける言葉として書いてみることができたのは、いい経験でした。

もともと私は、昔自分が受けた日本の英語教育にずいぶん文句がありました。 大人になって、アメリカ・イギリスに住んでみて、また、子どもたちがイギリス教育を受けるなかで、イギリスで日本の英語教育のために「もって帰れる」勉強をしたいと思ってきました。

最初は、アメリカやイギリスの最新式の英語教育や第二言語習得理論を学んで帰って、日本の英語教育の教え方を変える手伝いをしたいと思いました。私が日本でうけた英語教育と、英米でみた英語教育は、全然違ったからです。そこで、イギリスの英語教師の資格(CELTA)と、子どもの英語教育の資格(CELTYL)を取りました。

でも、資格を取ったあとも、まだイギリスに住んでいたので、教える機会がないまま、もっぱら日本の英語に関する情報を読んでいて、段々と、気持ちが変わっていきました。

英米の最新教授法を研究されている方は、日本の英語教育界にすでにたくさんいらっしゃるし、そもそも日本の学校環境にそのまま英米の教え方をもちこんでも、それでうまくいくわけじゃない、と感じました。日本の教室を知らないと、何も出来ないような気がしてきました。

その後、さらに日本の英語教育の情報を読んでいくと、英語の先生方の多くが、日本の子どもたちが、英語学習の動機をもつのが難しいことが、日本の英語の課題だ、と報告されていることに気づきました。それは、思い当たるふしがいろいろとあります。

そこで、博士課程への進学を考え始めたころには、Motivationを研究してみようかと思い、この分野の第一人者、Dornyeiの最新理論とその理論を応用した研究をいくつか読んで、考えてみました。

彼が理論化している、言語学習者の動機づけとは、誤解を恐れず大胆に要約すると、未来のなりたい自分像に、その言葉を使っている自分の姿を重ね合わせ、その「なりたい」気持ちを、言語学習の動機にするというものです。

彼の考えの枠組みには、なるほどと思いました。世界の英語学習者を調べると、このなりたい自分の動機付けがとても強く見られる、という彼の研究結果も、納得できます。ただ、日本の子どもたちには、「未来の自分像に英語を使う自分を重ね合わせる」ためのイメージが、あまり浮かばないんじゃないか、とも感じました。まさに、今回のお題の問いかけです。

文科省などの資料を読むと、文科省の方たち自身も、大多数の日本のこどもたちの将来に、英語がどう重なるか、イメージがあまりないんじゃないか、という気もしてきました。言い方を変えれば、日本の学校における英語教育の目的と目標は何か、という具体的なイメージがぼんやりしている気がしたのです。

いわゆる、「エリート層」や、海外にぜひ行きたい、と意気込んでいる子どもたちには、カッコよく、世界をまたにかけて活躍する、いろいろな将来のイメージが浮かんでくると思います。

でも、まわりの大人が誰も英語と縁がなくて、自分も海外で仕事をしたと思ったことのない子どもには、どんなイメージがわくのでしょう。道に迷った外国人を助けてあげるとか、一生に何度もない、海外旅行の準備のために英語を学んでいるというのでは、あまりにもイメージが貧困です。

私自身、「自分の将来は英語に縁がない」と思っている子どもに、どんなイメージの話ができるか、わかりませんでした。

でも、世界でEnglish divide(英語格差)の広がりが懸念される今、日本の子どもの多くが、英語に関心を持つことは、日本社会にとって大事な課題だと思います。英語を必要と感じる人だけが、英語を勉強すればいい、という選択は、日本の社会のためにいいとは思えません。 (ただし、私は過度に英語熱が広がることも強く懸念しています。また、英語の国際語化には様々な問題があるとも思っています。このテーマはいつか、きちんと書きたいと思います。)

「グローバル競争にまけちゃうぞ」みたいな話しはいろいろあります。イギリスにいると、日本の存在感が急速にしぼんで、今や、東アジアと言えば、中国や、韓国、台湾などがイギリスの関心を集めているという感覚は、日常的にあります。イギリスの大学に行くと、日本の学生は本当に減りました。多分、中国人の十分の一もいないのではないでしょうか。

BBCの放送でも、中東やヨーロッパはもちろん、中国、韓国からも、英語で論評する人が増えているのに、日本からBBCに登場して、自分の英語で語れる日本人論客は本当に少ないと思います。TTPの交渉だって、日本の官僚の英語力は大丈夫かな、と心配になります。

でも、それを言っても、多分、子どもには、ぴんとこないと思います。

そんなことを考え続けるうちに、そもそも、私たちは、英語が使われている現場をよく知らないんじゃないか、という気がしてきました。

結局、私は、博士課程の研究テーマとして、「日本人の英語の現場を知る」ことを選びました。英語を長年使った経験をお持ちのビジネスパースンにお願いして、どうやって英語を使ってきたかという「個人の英語史」をうかがうのです。対象はできるだけ多様な年齢、職種、職業、経歴の方にお願いしようとしています。

こうした個人の経験の話(Narrative)を伺いながら、日本人ビジネスパーソンが英語を使う際に、何に苦労され、どうやってそれを乗り越え、また何を感じてきたか、ということを探っていこうとしています。

幸福なことに、「個人の英語史」のお話しを伺うのは、ものすごく楽しいです。また、話しをしてくださる方も、気分が乗ると、昔の英語の苦労を生き生きと語ってくださいます。

このインタビューを分析して研究報告にまとめるのは、まだこれからですが、インタビューをしながら大事だなと感じきた、2つのことを強く意識しながら、今回、お題のために考えをまとめました。

まず、英語を使って仕事を続けている方の多くは、使いながら、ずっと学び続けていらっしゃるということです。ここで言う学びとは、多くの場合、文法とか単語などのいわゆる英語の勉強ではなく、もっと実践的な英語を使う力を、自分で意識しながら訓練しつづけることです。長い目で見ると、使うための英語を身につけるのに一番大事な力は、この自分で学び続ける力ではないかと、最近思っています。

もうひとつが、学校時代の英語経験は、けっこう重要だと言うことです。

学校時代の英語の勉強が充実していた、と話してくださった方たちのお話しには、多くの場合、英語の面白さを教えてくれた大人が登場します。海外に住む親戚のおじさんや、情熱的だった英語の先生などです。

一方、学生時代に英語が苦手だったと言う方も、かなりいます。こうした方たちのお話しに登場するのは、つまらない学校の英語の授業です。ただ、英語が嫌いだった方も、外国に行って英語を使ってみたら、すごく面白くて、もっとうまくなりたいと思った、学生時代に勉強しないで損をした、と仰る方がけっこういるんです。


最後に、もうひとつ、大事だと思うことを書きます。最近の英語教育改革の議論を読んでいると、実業界で英語の必要性を訴える方と、英語教育にたずさわる方が、お互いを批判しあうことが多く、子どものために協力する機運が少ないように思えて、残念です。

子どもは、学校で過ごしたあとは、社会に出ていくのですから、その両方の世界が協力して、子どもへの最善の教育を作りあげるのが大事ではないかと、私はずっと思ってきました。

実業界の方ももっと学校の現場の悩みや苦労を聞いて欲しいですし、英語の先生方にも、英語を使っている現場(かならずしも経営者だけではなく、多くの社会人)の声をもっと聞いていただけるといいなと思います。
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