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英語で何か書いていると、「この文の中で、この名詞は、単数にするか、複数にするか、それとも、これはアンカウンタブルな名詞なのか、冠詞はどうするか」、という迷いは尽きず、日本人には永遠の謎ではないかと思ってしまいます。でも、イギリスで教育を受けた我が家の子どもたちに聞くと、その選択は、感覚的にぱっと決まるので迷うことはまずないし、しかも、単数と複数によって、単語から受ける印象は大きく違うそうです。 私にはどうもピンとこない、英語の感覚です。


Englishesという珍妙な単語が登場したとき、世界中の英語研究者たちは、かなりぎょっとしたのではないかと思います。1990年代前半ごろから、”World Englishes”と、英語を複数形で呼ぶグループが注目をあびはじめ、世界中のいろんなバラエティの英語が研究対象として積極的に認められるようになりました。

今ではOxfordの英英辞典などではEnglishは、Countable/Uncountableと出るようになりましたが、Englishes と書くと、今でも間違いじゃないか、とよく指摘されるし、普通の社会の英語の中では、まだまだ、とんがって目立つ言葉のようです。

このとんがった”World Englishes"という言葉を、日本語の中で使おうとすると、訳しようがなく困ります。「世界の英語たち」ぐらいしか思い浮かばないねぇ、と学生仲間の日本人と話していたら、先日読んだ本もそうなってました。でも、「世界の英語たち」って、日本語として、どうにも間が抜けた感じが、私にはするのですが、どうでしょう? 複数形のEnglishes にぴったりはまる日本語を思いつくといいのですが、なかなかイメージが浮かばす、とりあえず英語そのままEnglishesと書いています。

世界中の様々な英語を、World Englishesと名づけ、それぞれを独自のバージョンの英語として認めようという立場に立つと、インド英語、シンガポール英語、南アフリカ英語が、オーストラリアやカナダの英語と並んで認められるばかりでなく、Korean English, Chinese English, Italian Englishなんてものも、英語のバラエティと考えられます。

Japanese Englishも、その英語のバラエティのひとつとなります。日本なまりの発音でも、冠詞をはじめとした日本人が苦手な文法が間違っていても、これも日本バラエティの英語なんだからと、割り切って、日本人なりの英語を堂々使えばいいのだ、という(あたりまえの)考え方に、お墨付きをくれる理論的枠組みとも言えます。

旧来の、英語学や英語教育学の考えは、あくまでもネイティブの話すスタンダード英語が目標です。Japanese Englishは、そこにたどり着く前の仮の言葉、間違いだらけの言葉であり、「独立した言葉」とは認められませんでした。ただし、この間違いだらけの中間英語の世界をぬけだして、「スタンダード英語」にたどりつく「英語学習者」は、ほとんどいません。 

そもそもスタンダード英語を、ネイティブの話す英語と定義すると、ネイティブでない人は定義上、決してネイティブにならないし、その人の英語はいつまでも、擬似スタンダード英語に終わるわけです。「大人の英語学習は、ほとんど全て失敗に終わる」(出典は覚えてないのですが。。。)と言われるわけです。

すると、ずっと英語を使いつづけている人も、いつまでたっても英語「学習者」で、ちゃんとした英語の使い手として認められません。英語で論文を書いても、論文の中身ではなくて、英語の文法の間違ばかりにフィードバックが集中した、という話しは私のまわりでもよく聞きます。

ですから、ノン・ネイティブを、「ネイティブの英語とは違う英語」を使う英語使用者であると積極的に認め、その英語を尊重し、英語の細かい間違いで揚げ足を取らないという方向性は、大歓迎です。英語で悔しい思いをたくさんしてきた私としては、とてもうれしく思うし、これからもっと広まって欲しいと思います。

でも、World Englishesの議論にちょくちょく登場する、Japanese Englishを、英語のバラエティの言葉として認めようという方向には、まだいささか、違和感があります。

その違和感の原因を考えると、こんなものかな、と思います。
• ―日本人は、英語を日本人同士ではほとんど使わないので、Japanese English同士のコミュニケーションはほとんど存在しない。その言葉同士で話し合わない言葉を、言葉とよんでもいいのだろうか?

• 日本人が話す英語を、みんなJapanese Englishとよんでいいのだろうか? 初級で片言をとつとつと話す人も、上級でネイティブに劣らず巧みな英語を話す人も、日本人が日本語の影響をうけて話す英語であれば、みんなJapanese Englishとひとくくりにしていいのだろうか?

• 赤ちゃんのときから日本語で話していても、その後海外に住み、他の言葉のほうが流暢になる人もいるし、英語を使い続けているうちに、英語の方が日本語より得意になる人もいる。この人たちの英語はJapanese Englishになるのだろうか? 

World Englishes的に、中国英語、韓国英語、日本英語ごとに、その言葉へのイメージや、それぞれのわかりやすさについての印象を研究した論文を読んだことがあります。それぞれの母国語の特徴を受けた英語があることはわかるのですが、こうした英語をバラエティとしてわざわざ区別することの意味は、いまひとつ、私には納得できていません。

だいたい、イギリスで私のまわりを見ると、母国語や外国語の区別があまり意味をもたない家族や、そうした家族の中で育った子どもたちが、どんどん増えていると思います。国際結婚をしてイギリスに住む家族、たとえば、スイス人と日本人、イタリア人とアルゼンチン人、中国人と日本人、とたくさん知っていますが、その子どもたちはイギリスの学校で英語教育を受けて、読み書きで一番強い言葉は英語ですが、母語はかならずしも英語ではありません。娘の大学の同級生になると、世界中から学生があつまり、そのバックグラウンドや教育背景もとても多彩だそうです。

いまさら、Japanese Englishだ、Korea Englishだと、区別したバラエティ英語を考える必要はないのではないか、とイギリス、あるいはヨーロッパ社会を見ていて思います。

そんなわけで、歴史や地域で英語を区別する傾向のあるWorld Englishesではなく、English as a Lingua Francaという立場、ELFの研究をしている大学に来ることになったのです。
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